手越祐也さんの父親の死因は心筋梗塞だった?立教大学野球部エースの誇りと、“さくらガール”を歌い天国に届ける想いとは?
母子家庭だった噂の本当や、両親にプレゼントした大豪邸のすごい話など詳細情報をお届けします!
手越祐也は母子家庭だった!
ライブMCやラジオやテレビでよく母親の話をしていた手越祐也さんですが、父親の話がほとんど出ないことから、もしかして母子家庭なのでは?と感じていた方も多いと思います。
そんな手越祐也さんのデビュー当時である2003年頃の「Myojo」のプロフィールの家族構成を見ると、しっかりと『父、母』と掲載されています。
手越祐也さんから母親の話がでるものの、父親の話は全く出てこないため、もしかしたら離婚しているのではないかと以前からファンの間で囁かれていました。
両親の離婚が噂される中、手越祐也さんは22歳の頃に“両親”に1億1千万円もの大豪邸をプレゼントしています。
彼は1億円のローンを組んで、ご両親に新築の豪邸をプレゼントしてあげているんですよ。22歳でまだ早稲田大学の学生でもあった彼にとって、1億円のローンを組むことは清水の舞台から飛び降りるような決断だったはず。
登記簿を見ると、手越がローンを完済したのは昨年3月。7年で1億円を返しきった計算だ。
引用元:『手越祐也「母への豪邸」1億円ローンを7年で完済のド根性』女性自身 2017年05月30日
まず手越祐也さんは早稲田大学の在学時にローンを組んで両親の家を購入し、わずか7年で完済しているということに驚きですね!
手越祐也さんがローンを返済していた期間は22~29歳。20歳の頃から『世界の果てまでイッテQ』など、体を張ったバラエティ番組に勢力的に出演していたことも関係しているのでしょう。
話は戻りますが、手越祐也さんが豪邸をプレゼントした22歳の頃は、両親に向けて家がプレゼントされているため、まだ離婚していなかったということになります。
しかし手越祐也さんが32歳のときにあたる2020年6月3日の女性誌で母子家庭であったことを伝えています。
手越さんは両親が離婚し、母子家庭で育った身。
引用元:『手越祐也がシングルマザー救済活動、自転車でお弁当を配達』NEWSポストセブン 2020年06月03日
手越祐也さんの両親が離婚した時期や原因は明らかになっていませんが、成人してから“育った”と表現はされないと思いますので、幼少の頃から母子家庭で、父親とは別に住んでいた可能性が高いでしょう。
また、デビュー当時のプロフィールの家族構成に記された「父、母」は自身のイメージ作りを強く意識したもので、その後の整合性を取るために公の場で父親の話をしなかったことも考えられますね。
手越祐也さんがプレゼントした豪邸は、海が大好きな母親の希望を叶えた場所だったとか。
手越が両親のために家を建てたのは東京都の隣県の海岸沿い。最寄り駅から徒歩25分とかなり遠いが、海へはわずか1分という立地だ。「お母さんがサーフィンなどマリンスポーツを大好きで、この場所を選んだそうです。彼自身もまとまった休みが取れると、この実家によく帰ってきていますよ。」
引用元:『手越祐也「母への豪邸」1億円ローンを7年で完済のド根性』女性自身 2017年05月30日
手越祐也さんの出身地は神奈川県横浜市で、両親に建てた豪邸の場所も『神奈川県』と言われ、200平米ある土地価格は5,000万円、こだわった白い外壁のリゾートを意識した建物の価格が6,000万円だとか。
もちろん場所については公表されていませんので、推測してみると
- 海岸沿い
- 最寄駅から徒歩25分
- 海へは1分
- サーフィンやマリンスポーツができる場所
これらの条件が重なる場所だと、逗子、鎌倉、江ノ島、湘南、茅ケ崎、平塚、大磯付近の可能性が高いでしょう。
海が近いなんて素敵ですよね。手越祐也さんの母親想いなところがうかがえますね!
上記プロフィールの画像に掲載されている赤いジャケットは手越祐也さんが母親に買ってもらったものなのだそう。
手越祐也さんが母親のことを話題に出したり見立ての服を着ているのは、好みが似ていたり話が合ったり特に仲が良いからなのでしょう。
手越祐也さんが高校受験のあとに母に宛てたメッセージに想いのすべてが込められていました。
当時15歳だった手越祐也さんが、「いつか家をプレゼントする」と宣言し見事に実現していますね。芸能活動の原動力となったとも言えるのでしょう。
手越祐也さんの母親と言われる画像ですが、こちらの画像の詳細は明らかになっていません。
現在29歳の手越は母親が31歳の時に生まれているため、手越ママは60歳という計算になる。
引用元:『手越祐也の母親は「年中ノースリーブ」の超アクティブシニアだった!』Asa-Jo 2017年04月08日
手越祐也さんと母親の年齢差は31歳。画像の女性が本当に母親であれば、とても若くてきれいな方ですよね!
手越祐也さんは物怖じせず明るい性格で“元気な末っ子”な雰囲気からいかにも姉や兄がいそうに見えますが、プロフィールの家族構成に兄弟の掲載がないため“一人っ子”なんですよね。
いつも元気な手越祐也さんのキャッチフレーズは『世界でトップ3に入るほどポジティブ』な思考なのだそう。
そんなポジティブな手越祐也さんですが、2015年のNEWSのライブツアー『NEWS LIVE TOUR 2015 White』のファイナルで、「ツアーが始まる前に人生でトップ3に入るくらい悲しいことがあった」と雑誌のインタビューで伝えています。
この年、2015年の年明けに最愛の父親が亡くなった悲しい胸の内を明かしています。
手越祐也の父親の死因は?さくらガールに込められた想いとは
手越祐也さんの父親は、NEWSの2015年3月20日~6月14日に行われていた『NEWS LIVE TOUR 2015 White』ツアーのファイナルとなる6月14日の東京ドームのライブを観る予定でした。
しかし、楽しみにしていた愛する息子・手越祐也さんのステージを観ることなく父親は他界。父親と最後に交わした言葉はこのファイナルライブの『チケット、取って』だったそう。
手越祐也さんは、両親が離婚したあとも別に暮らす父親と連絡を取り合っていたということになりますね。
父親と永遠の別れとなった日は『NEWS』の17作目のシングル『KAGUYA』がリリースされた2015年1月7日であったと話しています。
「お父さんは?」との問いに「……亡くなったんですよね。ちょうど、『KAGUYA』がリリースされる日に」と、悲しい事実を明かしています。
引用元:『ファンのウワサが的中……NEWS手越祐也が「Myojo」で父の死を告白』ジャニ研 2015年7月28日
新曲の発売日が父親の命日になるとは、なんとも悲しい現実ですね…。『KAGUYA』は手越祐也さんにとって切ない忘れられない曲になったことでしょう。
そして、手越祐也さんにとってもう一つ胸に深く刻まれる曲がありました。
『さくらガール』(2010年3月31日発売)は手越祐也さんの父親が好きだった曲で、葬儀で流れたこの曲を聴いた祖母(父親の母)が手越祐也さんに「父親がいつも歌っていた」と伝えたと言います。
『さくらガール』の歌詞の一部です。
言葉にならない キミの「さよなら」に
まだ受け入れられないことばかり
でも僕の前に もうキミは見えない
抜け殻さえ粉々に引用元:『さくらガール』https://www.uta-net.com/song/92543/
ツアーファイナル東京ドームのライブで、手越祐也さんは本来そこにいるはずだった最愛の父親の姿を想いながら“さくらガール”を歌ったことを『Myojo』10000字インタビューで話しています。
「親父、ドームのライブに来るはずだったからさ、あの日の『さくらガール』は、俺はずっと天に向かって歌って。あのときだけは、ファンのみんなじゃなくて、天国に向けて歌わせてもらったんだよね。
歌い終わって天を指さして言ったんだ。“親父、届いた?”って」引用元:『STAND BY ME~いつもそばにいてくれたね~。』Myojo 2015年9月号
この日の『さくらガール』は手越祐也さんにとっては特別で、会場内すべての人の心により深く響く曲になったのでしょうね。
手越祐也の父親の死因は?
手越祐也さんの父親は2015年1月6日に突然倒れ、その翌日7日に他界しています。
倒れた翌日に亡くなったため、最期にも会えていないことも告白。
引用元:『手越祐也が父親の訃報を明かす 最期に会えていないことも告白』週刊女性PRIME 2015年7月24日
手越祐也さんの父親の死因は公表されていませんが、11~3月に多いとされる寒暖差からの心筋梗塞や脳卒中だった可能性が非常に高いでしょう。
病気の前兆や発見が遅れれば手遅れになってしまうこともあるため、手越祐也さんはもっと早く自分が気が付いていたらと後悔の気持ちがあるのかもしれないですね。
手越祐也さんと父親の年齢差は33歳。手越祐也さんは2015年当時27歳だったため父親は60歳前後で亡くなったと考えられます。
60歳といえばまだまだ若いので、手越祐也さんはこれからもっと父親に親孝行をしたいと思っていたのでしょうね。
手越祐也さんは、父親の倒れた日にNEWSやテゴマスのライブはありませんが、何らかの形で病院に駆けつけることができず、父親とずっと離れて暮らしていたこともあり、できれば最期に一目会いたかったのでしょう。
そして手越祐也さんは最愛の父親が大学生時代に野球で活躍していたことを誇りに思っていました。
手越祐也の父親は立教大学野球部エースだった!
手越祐也さんは2015年1月7日の『テゴマスのらじお』で父親が「立教大学野球部のエースだった」と話しましたが、奇しくも父親が亡くなった日のラジオ番組でした。
この時の話題はリスナーからの「社会人になっても家族で出かけるか?」との質問に答える形で手越祐也さんは、アウトドア派でよく一緒に出掛けることや両親ともに身体能力に長けていることの流れから父親が立教大学野球部のエースであったことに触れました。
年明け早々の番組なので、この日の『テゴマスのらじお』は収録だった可能性がありますが、手越祐也さんの話から父親を“誇り”に感じていたことがうかがえますね。
手越祐也さんの父親が立教大学野球部のエースとして活躍していたとしたら、年齢から推測して1975~1978年頃になるので、もしかしたら立教大学出身の元読売ジャイアンツの選手の横山忠夫さんと共にマウンドで汗を流していたのかも知れませんね。
画像は元読売ジャイアンツ選手の横山忠夫さんですが、手越祐也さんの父親も同じように名門の立教大学野球部のエースとして活躍していたのでしょうね。
また、手越祐也さんの父親がタクシーの運転手をしていた噂がありますが詳細は明らかになっておらず、ファンがタクシーを利用した際にタクシーの運転手が手越祐也さんの父親だと話したことから噂になったと考えられます。
家をプレゼントしたり、母親との仲の良さを公表したりと、手越祐也さんは家族をとても大切に想い、誇りに感じていることが分かりますね。
手越祐也さんはファンのことを“子猫ちゃん”や“エンジェル”と呼び、夜遊びや女性とのスクープでチャラいイメージが強いですよね。
しかし、手越祐也さんは10代の頃から母親に家をプレゼントしたい夢を現実にしていることや、亡き父親に感謝と愛の溢れるステージなど、実に誠実で家族想いな方だと感じます。
手越祐也さんの“世界でトップ3に入るポジティブ”思考でこれからも頑張る姿を応援したいですね!