阿部寛さんが『MEN’S NON-NO』の表紙を飾りトップモデルとして活躍していた若い頃の画像がイケメンで超かっこいい!
俳優デビューを飾るも仕事がなくパチンコで生計を立てていた意外過ぎる過去など詳細情報をお届けします!
日本人離れした容姿からローマ人の役に大抜擢された『テルマエ・ロマエ』や、仲間由紀恵さんと息がピッタリな演技を見せた『TRICK』など、個性あふれる役と演技で人気の高い阿部寛さん。
今や俳優としてのイメージが定着していますが、デビュー当時はモデルとして活躍していたんですよね。
そんな阿部寛さんは1986年5月9日に発売した『MEN’S NON-NO』創刊号から43号(3年6ヵ月)に渡って表紙を飾り、“世界で最も同じ雑誌の表紙を連続して飾った人物”としてギネスブックに記録があるほど。
そんな阿部寛さんは人気モデルから俳優に転身したものの、身長が高いがゆえに配役のチャンスに恵まれず、お金を稼ぐためにパチンコ生活をしていた経歴もあるんです…。
阿部寛さんの若い頃の爽やかなモデル時代の画像を振り返り、現在の人気ぶりからは想像できない意外な過去を追いました。
阿部寛の若い頃はかっこいいイケメンモデル!
阿部寛さんは一浪を経て中央大学理工学部に入学、そして1985年の大学2年生の時に『集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞』で優勝したことがきっかけでモデル界に。姉からの勧めと、賞品の車が欲しくて応募したら見事に優勝したというから驚きますね。お姉さんが一番ビックリしたでしょうね。
優勝賞品の車はマツダの赤いファミリアだったようで、高く掲げたキーと共に喜びの表情がうかがえます。
そして阿部寛さんはコンテストで優勝した翌年1986年にモデルデビューしていますが、当時は月に4,000通のファンレターが届くほど人気があり、周囲からまるで“王子様のように扱われていた”のだそう。
創刊号から43号に渡り表紙を飾った『MEN’S NON-NO』の画像をいくつか見てみましょう。
下の画像は1986年のモデルを始めた22歳頃の阿部寛さんですが、超爽やか男子です!
阿部寛さんは袖を切ったGジャンをスギちゃんよりも先に取り入れていたんですね。ワイルドさと爽やかさが漂っています!
また、阿部寛さんのマリンファッションを取り入れたスカーフは、ねじねじ巻きの中尾彬さんよりもスカーフが似合う男性と言っても過言ではありません。
世の男性は『MEN’S NON-NO』表紙の阿部寛さんみたいになりたくて、スカーフやサスペンダーを求めておしゃれショップに走ったことでしょう。
続いて下の画像は1987年の阿部寛さんが23歳頃の『MEN’S NON-NO』の表紙です。
マゼンダピンクカラーのセーターにネクタイ、フレンチスタイルにリーゼント、阿部寛さんはどんなファッションもかっこよく着こなして本当に決まってますね!
そして下の画像は1988年の阿部寛さんで24歳頃。年を重ねて、大人の雰囲気も漂い始めてます。
これまで赤い服を着こなせるのはトランプマンの右に出る人はいないと思っていましたが、こちらの赤いジャケットスーツに身を包む阿部寛さんはダンディなかっこよさでダントツで輝いてます。また、阿部寛さんはトラッドなメガネもすごくお似合いで、この時期にメガネ男子が増えたことは間違いないですね。
下の画像は爽やかな笑顔とクールさが漂うかっこいい阿部寛さん。中尾彬さん風に小さめのねじねじネクタイです。
とにかく阿部寛さんは、夏も爽やか、冬も爽やかな超イケメンでした。
ちなみに阿部寛さんがモデルとして初めて雑誌に登場したのは、女性版『NON-NO』だったそう。いつ頃に掲載されたものなのか、残念ながら見つけることができませんでした。おそらく女性版『NON-NO』では、デートのシチュエーションのページなどで彼氏として登場した可能性が高いですね。
ちなみに若い頃の阿部寛さんは森泉さんに似ていると噂があるんですよ。
確かに阿部寛さんと森泉さんは面長なところや目が大きいなど顔パーツが濃いところが似てますね!
阿部寛が若い頃にCDデビューしていた!
1988年11月26日、阿部寛さんが24歳の時には歌手としてCDデビューも果たしました。
阿部寛さんの初リリースとなったアルバム『ABE』は、松田聖子さんなど多くの歌手の曲を手掛ける松本隆さんや、シンガーソングライターの財津和夫さんなども楽曲に参加し、力の入った作品になっているんですよ!
それにしてもCDのタイトル『ABE』って、そのままやんっ!
モデルとして人気を博し、歌手としての才能を見せ始め、すべてが順調に見えた阿部寛さんですが、思わぬ挫折を味わう事に…。
阿部寛は若い頃に身長が高すぎて仕事激減!?
阿部寛さんはモデルとして活躍中の23歳の時にオファーを受け、映画『はいからさんが通る』(1987年12月12日公開)の“伊集院忍役”で俳優デビューしました。
2013年2月21日に出演したラジオ『坂本美雨のディアフレンズ』では、「この役をやったら面白そう」と思ったことや、就職の時期を控えていたことも重なり出演を引き受けたことを明かしています。
なんでも阿部寛さんは主演の南野陽子さんの大ファンで撮影時にサインをもらったのだとか。本当は南野陽子さん演じる花村紅緒の婚約者役のオファーだったため出演を決めたとも言われているんですよ。
そんな阿部寛さん、『MEN’S NON-NO』の表紙を飾る超人気モデルのイケメンでスタイル抜群の容姿を持ちながらも、実はエンジニアへの志を胸に抱いていたんです。
というのも、中央大学理工学部電気工学科を卒業後はエンジニアだった父や兄と同じように「自分もエンジニアを志望していた」と2017年1月24日に出演した『徹子の部屋』で語っていたんですよ。
しかし阿部寛さんは父親に背中を押されたこともあり俳優の道に進むことを決意したのだそう。
ちなみに阿部寛さんは日本人離れの彫りが深く濃い顔なのでハーフと思われる方も多いようですが、純粋な日本人でハーフやクオーターではないんです。
阿部寛さんの出身地は神奈川県横浜市神奈川区ですし、2014年3月7日に出演した『笑っていいとも!』の“テレフォンショッキング”のコーナーではタモリさんから「ハーフじゃないよね?」と聞かれて肯定はしていないため生粋の日本人で間違いないですね。
2014年4月に『テルマエ・ロマエⅡ』が公開され、ワールドプレミアでイタリア・ナポリで開かれた上映会では、阿部寛さんが「古代ローマ人と区別がつかない」と現地の人がコメントしたほど。阿部寛さんはイタリア人も認める堀の深い濃い顔ということですね。
阿部寛が若い頃にパチンコ収入で生活!?
大学を卒業し阿部寛さんは本格的に俳優の道に進むのですが、濃い顔や元モデルという肩書もありオファーが来るのはいわゆる“二枚目”の役ばかりだったとか。さらにモデル時代には強みだった189cmの高身長が、共演者との身長差が不都合だと役を降ろされることもあったと2012年11月1日号『女性セブン』が伝えています。
徐々に仕事のオファーが減り、ほとんど収入がない生活を強いられた阿部寛さん。なんとパチンコでプロレベルの技を磨き生活していたというのです…。
こうして次第に仕事が少なくなっていった阿部は、今の人気からは想像もできないが3年間ほど、パチンコで生計を立てていたという。
引用元:『阿部寛 3年間のパチプロ生活を経て『あの人は今』で再起』女性セブン 2012年11月01日号
また2020年10月13日号の『週刊女性』の記事によると、阿部寛さんはパチンコで月に“10数万円”を稼いでいたとか。それにしても、身長189cmで元モデルのイケメンの阿部寛さんがパチンコ台に向かう姿はかなり目立ったでしょうね。
そのようなパチプロとも呼べる生活を続けていた阿部寛さんは、芸能界入りし3年も経たないうちに週刊誌から『あの人は今!?』のような取材を受けることに…。すでに“過去の人”のように思われていたことに衝撃だったよう。
これがきっかけで開眼した阿部寛さんは、イメージばかりを気にしていられないと思い立ち、どんな役もチャレンジすることを決意したと自身のエッセイ『アベちゃんの悲劇』(1998年11月発売・集英社)に当時の想いを綴っていました。
こうして再び演技の勉強をし直し、実力派俳優として階段を上り始めた阿部寛さんですが、実は多額の借金もあったんです…。
阿部寛さんはモデル全盛期に高級マンションに投資をしていたのですが、1991年のバブル崩壊と共に億を超える借金を背負うことに。
しかし2007年2月10日公開の映画『バブルへGO!!タイムマシンはドラム式』に出演した阿部寛さんは、記者会見で少し前に借金を返し終えたことを報告しましたが、数億と言われた借金を返済するのに約20年かかったそう。
映画の内容にちなんでタイムマシンでバブル期に戻って自身にアドバイスするとしたら?と記者からの質問に対し「マンション購入を止める」とリアルに回答する一幕も。
週刊誌から『あの人は今!?』の取材依頼が結果的に成功に導かれたとも言える阿部寛さんの俳優人生。年齢を重ねてますますかっこよさに磨きがかかります。
阿部寛は若い頃から現在もかっこいい!
2015年9月29日には『MEN’S NON-NO』創刊30周年を記念して『大人たちのメンズノンノ』(増刊ムック本)が発売されました。
表紙を飾ったのは阿部寛さん!もう阿部寛さん無くしてメンズノンノは語れませんね。
現在では二枚目も三枚目も演じる国民的人気俳優となった阿部寛さん。
これからの活躍も楽しみですね!
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