加賀まりこさんの若い頃から40代頃のかわいい画像がまるでフランスの女優のよう!
単身フランスに遊学したエピソードや川端康成さんと朝食を共にする関係、小悪魔でちょっと生意気な昔の伝説エピソードなど詳細情報をお届けします!
カッコいい女優代表の加賀まりこさん。
加賀まりこさんと言えば、かつて音楽番組『夜のヒットスタジオ』の司会で、ゲストの酒井法子さんに「キャバクラに行ったら一番になれるわよ」など歯に衣着せぬ数々の発言や、自然体ながらもその颯爽としている姿は世代を問わず人気が高く、常に注目されていますよね。
そんな加賀まりこさんは年齢を重ねた現在もかわいいですが、若い頃には人気の高いフランス女優に例えて“和製ブリジット・バルドー”と呼ばれていたことも。
“小悪魔”と呼ばれた子供の頃からの伝説的な話や、文豪・川端康成さんと親しい関係について、若い頃のかわいすぎる画像など、加賀まりこさんの昔の驚愕エピソードを追ってみました。
加賀まりこの若い頃の画像がかわいい!メイクやファッションにも注目!
最近では母親や老人ホームに入った年配の役など人生経験豊富な役どころで出演することが多い加賀まりこさんですが、若い頃は整った顔立ちからまるでバービー人形を思わせるような圧倒的なかわいさで見る人を魅了しました。
完成された加賀まりこさんの若い頃の画像を見てみましょう。
加賀まりこは40代もかわいい!フランス女優やタレントに似てる!?
下の画像は、目を大きくしたり、小顔に見せたり、と現在のような“加工”アプリで顔を修正することない正真正銘の若い頃の加賀まりこさん。
きゅっと上がった口角やキリッと大きな目にシュッと通った鼻筋と、まさに完成されたかわいいお顔。目ヂカラに圧倒されますね。
とにかく黒目が大きくて、真っ直ぐな視線は見る人を惹きつけたに違いありません。もちろん黒目を大きくするコンタクトレンズがない時代ですし、メイク以外の加工なしでこれほど美人ということは、時代を感じるモリモリでクルクルのヘアスタイルはさておき、昭和、平成、令和と時代は移り変わっても加賀まりこさんは間違いなくかわいいということです。
下の画像は1963年の加賀まりこさんですが、大人っぽい中にもかわいさが漂う一枚。なんと当時19歳ですが、タバコを手にしちゃってます…。
タバコが“粋”だった時代と思われますが、19歳でタバコってOKだったのでしょうか…。さりげなく手にした受話器ですが、この黒電話も時代を物語ってますね。
まるでフランスのファッション誌を切り抜いたようなシーンですが、これも加賀まりこさんのハーフのような顔立ちだから成立するキメのポーズです。
加賀まりこさんはその日本人離れした顔立ちからハーフと言われることも多いようですが、父親は映画会社『大映』のプロデューサー・加賀四郎さんと母・寿江さんの3人兄姉の次女として育った生粋の日本人なんですよ。(※2021年現在『大映』は解散しています)
下の画像は加賀まりこさんの父・加賀四郎さんです。
伊勢谷友介さんを思わせるイケメンで、帽子が粋でおしゃれですね!
ちなみにデヴィ夫人もハーフ顔と言われていますが、日本人特有の目が細くて平たい顔とは真逆の特徴があるとハーフなのでは?と噂が出るのでしょうね。
まだまだモノクロ画像が多い時代ですが、加賀まりこさんの若い頃のカラー画像もありましたのでご紹介します。
こちらは一口タイプの『明治チョコレート』のCMに起用された加賀まりこさんは、なんでもCMの自分を見て「演技がヘタ」と発言したとか。
利かせ色のピンクが生える画像で、加賀まりこさんの魅力をひと際引き出していると言えますよね。まるでバービー人形のよう。
さらにバービー人形やフランス女優を彷彿させる加賀まりこさんのキュートな画像をもう一枚。
肉感のあるグラマラスボディとは違いますが、華奢な体型のほうが加賀まりこさんらしさがあります。ノースリーブドレスと毛皮を身にまとって、かっこいいですよね。
また、加賀まりこさんは顔が小さめですが、ヘアスタイルをアップにすると、さらに小顔になりますよね。
こんなかわいい顔で振り向いて見つめられたら、女性の私でも昇天しちゃいそう。
記事冒頭で触れていますが、加賀まりこさんは“和製ブリジット・バルドー”と呼ばれていたことも。
ブリジット・バルドーさんは頭文字からフランス語の赤ちゃん(BeBe)を意味する“べべ”の愛称を持ち1956年から活躍している女優さんですが、これがまた“フランスのマリリン・モンロー”と呼ばれており、大人のかわいい女優の例えの連鎖でつながってます。
下の画像で比較してみましたが、左はロングヘアでツインテールでロリータ風の加賀まりこさんで右がブリジット・バルドーさん。
茶色のごく普通のセーターもこれだけサマになるとは、かわいさ溢れる加賀まりこさんのなせる業です。
ヘアをアップしたスタイルもお二人は雰囲気が似ているんですよね。
たしかに加賀まりこさんの大人かわいい表情は、フランスの大女優ブリジット・バルドーさんと比喩されるのも納得ですね。
ちなみにブリジット・バルドーさんは2021年現在は86歳。
ブリジットバルドーさん、大女優の貫禄を感じますね。
続いては加賀まりこさんの40代頃の画像。1989年10月から2年に渡り『夜のヒットスタジオ』の司会をしていましたが、男性の視聴者が増えたとか!?
20代の若い頃と違って落ち着いた大人の雰囲気が漂ってますね。
続いてロングヘアの加賀まりこさんですが、雰囲気がオセロの松嶋尚美さんに似てるんですよね。
下の画像は左が加賀まりこさんで右が松嶋尚美さん。
お二人は色白ですし、雰囲気が似てますよね。
ちなみに加賀まりこさんがすっぴんでタクシーに乗っていたら、小泉今日子さんと間違えられたこともあったとか。お二人とも小顔ですし、ノーメイクは意外にも小泉今日子さんに似てるのかもしれない!?
ヘアスタイルや個性的なファッションに身を包んでいた加賀まりこさんですが、実はおしゃれにこだわる理由があったんですよ。
加賀まりこのファッション精神は父親から受け継いだ!?
加賀まりこさんは男性のみならず女性にも絶大な人気を誇り、カリスマ的な存在でもあったよう。キュートで魅力たっぷりの加賀まりこさんに憧れて、メイクやヘアスタイルを真似していた方も多かったのでしょう。
加賀まりこさんのメイクポイントはなんと言っても目元!太めに描いたアイラインが特徴です。
もともと目が大きい加賀まりこさんは特に濃いアイラインを描く必要はないと思いますが、目元を強調したメイク方法はこの時代ならではだったと言えますね。
また、時代の流れによって眉毛の太さや描き方などメイクの仕方も変化してきますが、顔を印象付ける目の周りにも気を配っているようです。
現在は眉毛の高さが違うという意見も聞きますが、眉間を寄せるなどの長年のクセが影響していることが考えられますね。
また、雑誌で加賀まりこさんのファッション情報が取り上げられることもあったようです。
“春のおしゃれ着”がテーマなのにノースリーブって…完全に真夏ですやんっ!
しかし、アクセサリーやバッグの紹介もしてますし、加賀まりこさんのアイテムを真似する女性が続出していたのでしょうね。
子供の頃からおしゃれ女子だった加賀まりこさんはヘアスタイルにもこだわりがあったそうで、ランドセル姿で映画館に行き『ローマの休日』を観終えたその足で新宿伊勢丹の美容院に立ち寄り、オードリーヘップバーンと同じようなショートカットにしたのだとか。
実は、加賀まりこさんの父・加賀四郎さんは「オシャレじゃない女はバカだ」といつも言っていたのだとか…。
こうした自論を持った父親に見染められた加賀まりこさんの母・寿江さんは相当なおしゃれだったと思われますし、加賀まりこさんにとって父親は理想の男性だったので、このファッション精神を受けて常におしゃれアンテナを張っているのでしょう!
加賀まりこの映画やドラマ共演者の若い頃もかわいい!
高校2年生の在学中にテレビドラマ『東京タワーは知っている』でデビューした加賀まりこさん。その後、多くのドラマや映画に出演していますが、特に1964年3月4日に公開された映画『月曜日のユカ』は刹那的でセクシーでかわいい女性を演じ現在も評価の高い作品です。
下の画像は『月曜日のユカ』のワンシーンですが、加賀まりこさん演じるユカのボーイフレンド役・修は中尾彬さんなんですよ。
中尾彬さん、このころはまだねじねじスカーフはしていないですね。
いえ、それよりも加賀まりこさんのヘアスタイルは黒柳徹子さんと張り合えるくらいボリューム感たっぷり!時代を感じると同時に、タートルネックセーターを着る前にヘアセットすると大変なことになるなと余計な心配をしてしまいました。
ヘアスタイルの後ろはどうなってるのかと気になりましたが、下の画像のようになってました。加賀まりこさんのまぶしいくらいの笑顔がなんとも愛くるしいです。
改めてですが、加賀まりこさんのセクシーキュートなかわいさに脱帽です。
ちなみに、こちらの映画『月曜日のユカ』は、あの『北の国から』で有名な脚本家・倉本聰さんが手がけた作品なんですよ。
2017年4月期に放送していた『やすらぎの郷』では、加賀まりこさんと同じ時代から活躍していた俳優陣が揃って出演し話題となりましたが、この作品も倉本聰さんの脚本でした。
『やすらぎの郷』に出演し、加賀まりこさんと同じように若い頃からキレイで注目されていた芸能人を見てみましょう。
【有馬稲子(ありまいねこ)さん】
【八千草薫(やちぐさかおる)さん】
【浅丘ルリ子さん】
【石坂浩二さん】
ちなみに加賀まりこさんと石坂浩二さんは1966年に共演した映画『泥棒たちの舞踏会』がきっかけで交際に発展し、同棲していたものの多忙から破局。そして石坂浩二さんは1970年5月14日に浅丘ルリ子さんと結婚していますが、お二人のキューピッドはなんと加賀まりこさんだったとか。
その後、石坂浩二さんと浅丘ルリ子さんは2000年12月27日に離婚しましたが、元ご夫婦と元熱愛関係だった3人は2017年の『やすらぎの郷』で共演しているんですよね。年齢を重ねていい関係になったということなのでしょうか。
ドラマでウエディングドレス姿を披露した加賀まりこさん。実生活では1974年に元フジテレビプロデューサー・高田明侑(たかだはるゆき)さんと結婚し、1979年に離婚。二人の子供を授かるも死産という過去を乗り越えました。
現在はTBSプロデューサーで演出家の清弘誠(きよひろまこと)さんと事実婚関係にあり、“婚姻届け”の形式に縛られない加賀まりこさんスタイルで人生を楽しんでいるようです。
事実婚で旦那となる清弘誠さんは、TBSの『渡る世間は鬼ばかり』や『ADブギ』『人生は上々だ』などの演出もしていた敏腕プロデューサー。
これまで加賀まりこさんの画像を見てきましたが、そのかわいさからハンパないモテぶりだったんです。
加賀まりこと川端康成の意外な関係!
1968年に日本人初ノーベル文学賞を受賞した作家・川端康成さんが京都に想いを馳せて書いた長編小説『美しさと哀しみと』が1965年2月に映画化され、加賀まりこさんは同性愛者“坂見けい子”役で出演しているんですね。
原作者として川端康成さんは撮影現場を訪れたのですが、加賀まりこさんのリハーサルの演技を観てその魅力に一気に取りつかれたのだそう。
まさに自身の作品の中の女性が目の前に現れたようで、川端康成さんはその時の事を「私がまるで加賀まりこさんのために書いた様な、他の女優は考えられないような、主演のまりこがそこに現れた」と話し、加賀まりこさんを大絶賛したとか。
それを裏付けるように、『美しさと哀しみと』で加賀まりこさんが演じた“坂見けい子”は、“東京出身”“華やかな顔立ち”“怖いような美しさ”“あまり大きすぎない胸”が特徴で、最後の胸の大きさについてはさておき、まさに加賀まりこさんそのものです。
また加賀まりこさんのエキセントリックで小悪魔を思わせる演技に対して、「演技より前のあるいは演技の源の、加賀さんの持って生まれた、著しい個性と素質が出ていた」と褒めたたえていたとも。
この原作者と演者の出会いをきっかけに、加賀まりこさんと川端康成さんは親交を深め、料亭旅館で一緒に朝食をとる仲になったそう。
しかし、朝ごはんを一緒に食べると言っても夜を共にした男女の関係ではなく、加賀まりこさんはモテ過ぎて時間がなかったため「おじいさんに時間を割くのは朝しかなかった」と2018年2月23日に出演した『ダウンタウンなう』で衝撃の発言をしていたんですよね。
しかし、加賀まりこさんは自叙伝『純情ババァになりました』(2008年8月・講談社)の中で、2度目の朝食のとき、加賀まりこさんの穿いていたスカートが座った際に少しまくれていることに気付いた川端康成さんから「そのスカートをもうちょっと上げてごらん」と言われ、少しだけ官能的な気持ちになった瞬間があったことを綴っています。
後に、加賀まりこさんは川端康成さんを「いいダチ」と振り返ることもあったそうで、大物小説家だと特別扱いしない加賀まりこさんの生意気な中にも誠実で誰に対しても自然体な性格があったからこそ、川端康成さんは親しんでお互いにいい関係を築けたのではないかと思います。
日本を代表する文豪・川端康成さんと朝食を共にし、マブダチだったと公言する加賀まりこさんの伝説エピソードはまだまだありました。
加賀まりこの昔の伝説エピソードがスゴイ!
加賀まりこさんが芸能界入りしたのは、1960年。高校在学中で当時17歳のときに地元・東京神楽坂で、「映画(加賀まりこさんの映画デビュー作となった『涙を、獅子のたて髪に』)を企画しているが女優が決まらずに困っている」と声を掛けられたことがきっかけでしたが、この時スカウトした人物は映画監督の篠田正浩さんと脚本家の寺山修司さんだったそう。
下の画像は2003年6月14日に公開された篠田正浩さんの監督脚本の『スパイ・ゾルゲ』。
3時間越えの大作で、日本映画なのにハリウッド映画を思わせる迫力です。
下の画像は1988年に公開された寺山修司さんの作品『怪盗ジゴマ 音楽篇』。
23分の短編ミュージカルアニメで寺山修司さんは脚本と作詞を担当しています。
先述していますが、加賀まりこさんの父親は『大映』のプロデューサーだったので、美空ひばりさんなど自宅には常に業界人や有名人がいる毎日の中で、加賀まりこさんは“言葉の錬金術師”とも呼ばれる寺山修司さんに青森弁で話しかけられたことがとても新鮮に感じたのでしょうね。
加賀まりこさんはスカウトされたことを父親に相談すると、「あなたでお役に立てるならやってあげなさい」と言われたそう。
そして1962年に『涙を、獅子のたて髪に』でデビューすると、たちまち売れっ子女優となった加賀まりこさん。
しかし、人気が出れば出るほど次々と仕事が舞い込み常に2~3本の作品は同時進行状態、また週刊誌などメディアではイメージだけで好きに書かれたり、一方で“演技ができるわけではない”と自身で感じていたこともあり全てに嫌気がさして、20歳で女優を辞めるつもりで単身パリに旅立つことを決意。
とにかくデビュー以来忙しい日々を送っていた加賀まりこさん。そんな日々の代償となる多額のお金を手にしていたので、全部使い切ってリセットしたかったのだそう…。「お金が沢山あったから使い切りたかった」…私も一度でいいから言ってみたいセリフです。
パリでは、毛皮の老舗店『レヴィヨン』で600万円の豹の毛皮を買ったり、ボロボロのジーンズとTシャツで高級ブランド店に入り時計を買ったり、イブサンローランのオートクチュール(特注服)を仕立てたり、ロンドンのカジノで豪遊したり…と、とにかく普通の女の子に戻るため浪費に明け暮れていたとのこと。
当時の600万円となると一体どれくらいの価格なのかと思いますが、1963年の映画入館料は250円なので、2021年現在の映画館は1,900円だとすると、加賀まりこさんが購入した毛皮は現在の値段で約4600万円くらい…。家が一軒買えますよ。
パリに行くことを決意した時には半年先のスケジュールまで全てキャンセルしたことや、全財産を全て使い果たしたり、加賀まりこさんはかなり気っ風のいい性格なんですね。
なお、パリの暮らしではデザイナーのイブ・サン・ローランや映画監督のジャン・リュック・ゴダールやフランソワ・トリュフォーなど、名前を聞くと驚くようなファッション界や映画界の超有名人と親交を深めていたんですね。
約8ヵ月パリで生活し、その間に約1,000万円を遣いきった加賀まりこさん。そんなときに劇団四季創設者の一人である浅利慶太さんから舞台『オンディーヌ』に出演しないかとお誘いの国際電話がかかり、日本に戻って再び女優の道を歩むこととなります。
結果、1965年6月に加賀まりこさんが舞台を務めた『オンディーヌ』は、日生劇場始まって以来の大盛況の大入り舞台となり、ロングランの大ヒットとなりました。
加賀まりこさんの伝説はこれだけではなく、著名人が集うことで有名な東京六本木にあるイタリアンレストラン『キャンティ』になんと15歳から通い、コーヒー1杯で朝まで大人の話を聞いていたというエピソードもあるんですよ。『キャンティ』には、かまやつひろしさんやデザイナーのコシノジュンコさんなど文化人や芸能人、芸術家など常に有名人がいて、店内はいつも熱気に満ち溢れていたそうで、加賀まりこさんは高校生の頃からこうした刺激的な日々を送っていたことがうかがえます。
そして加賀まりこさんの高校生時代にはモテすぎるあまり、校門にボーイフレンドらの外車が並んで待ち、デートするお相手はその日の気分で選ぶという小悪魔ぶりを見せていたのだそう。
さらにもっと前、加賀まりこさんが小学生の頃には、13歳年上の姉が通う明治大学に忍び込んでは男子学生にあんみつをおごらせていたというエピソードを『純情ババァになりました』の中に綴っています。
当時の明治大学の男子学生は、あの時はおごらされたけど、「オレ、あの加賀まりこさんにあんみつをおごったことがあるんだよ」って、プチ自慢できますよ。
そんな自由奔放な性格の加賀まりこさんは、小学生のころからフランス文学書をこよなく愛する文学少女の一面もあり、ただ単に生意気な少女ではなかったことがうかがえます。
年齢を重ねた今も「今の自分が一番好き」と話す加賀まりこさん。「自分の気持ち次第でいつでも人間は変われる」と常にポジティブな気持ちが原動力になっているよう。
若い頃と変わらず現在もかわいい加賀まりこさんにこれからも注目ですね!